たんばけいこ 1958・6・28生まれ 南陽市出身 AB型 山形短期大学国分学科卒業。山形県嘱託職員、OL時代に『ヤマハのポプコン山形代表で東北大会出場』『NHKヤングミュージックフェスティバル山形大会大(金)賞・全国大会出場』などを経験し、26歳で結婚。1999年から歌手活動をスタート。学校・施設・イベント・自主コンサートなど、年間約30回のライブを展開中。レギュラーラジオ番組VigoFM『丹波恵子の夢追人(毎週土曜日AM10:10〜10:30)』。
オフィシャルホームページ
http://www.t-tada.com/tanba/
コンサートをサポートする『Keiko Club 』への問い合わせ/FAX023-631-6768
夢と現実のはざまで
 その後もいろんなコンテストでいいところまで行くので、やっぱり東京で勉強したいという気持ちが湧いてくるようになって。でも年老いた両親を残して行っていいのか、音楽で食べていけるのか…。悶々と悩みすぎて身体も痩せ、職場も退社。家の中に閉じこもっていました。救ってくれたのは友だちです。ある日の朝、突然家へやってきて、今日地元で開催するミスコンの出場者に欠員が出たから、代わりに恵子が出ろって。具合が悪いって言っているのに、勝手に私の部屋から洋服も持ってきて、強制連行です(笑)。ところが優勝しちゃって、副賞にもらったグアム旅行に出掛けたことで、精神的にも回復することができました。友だちには、本当に感謝しています。その後、地元で活動している仲間との出会いがあって、山形でもこんなに楽しく音楽ができるんだ!と思えるようになったんです。
歌手活動を開始
 結婚、出産、育児をしている中で、子育てに対する考えや自分の生き方を、いつか音楽で表現しようと、曲は書きためていました。一九九九年の秋、山形市北部公民館が主催する『秋の夜のコンサート』へ行ったら、十歳年上の女性歌手が歌を披露していて、公演の後に「私も歌手活動をしたいんです」と話かけたんです。「歌があるなら、やらなきゃ!」と励まされ、親子で楽しめる自主Rンサートを開きました。不登校児を持った友人に向けたメッセージなど、歌ったのは全部で七〜八曲。その後公演の依頼が入るようになり、CDはないの?との声があって自主制作しました。
初めての体験
 今年は『だがしや楽校(*1)』の曲を作って、レコーディングは東京のスタジオで行いました。ミキサーなど設備機材の多さにまずびっくり。そして、もう一つ、今回のアレンジャーであるギターリストの久保田さんは、私が学生時代に敬愛していた『ふきのとう』の、現在のツアーにも参加している方だったんです。きゃ〜感激〜♪って気持ちでしたよ(笑)。総合プロデューサーの野口さんはじめ、ディレクターさん、エンジニアさんなど、全員さすがプロという仕事ぶり。いかにいい空気で作り上げるかを大切にしていて、余計な緊張感などなく、とても素敵な楽曲に仕上がっています。十月に横浜で開催された『日本丸パークだがしや楽校』でのお披露目コンサートも、今年の大きな成果ですね。
年を重ねて生まれるもの
 若い頃、身体を壊すほど悩んで諦めた東京での活動が、いま別の形で実現したのも、コンサート会場で私の曲に涙を流してくださる方がいるのも、主婦として、母として生きてきた背景があるからこそじゃないかと思うんです。家族はみんな「身体に気をつけて、やれるところまでやれ」と応援してくれています。見せかけやうわべだけでないカッコよさ、その人なりのオリジナリティのあるライフスタイルなど、素敵な年の重ね方を出来る人が、今を本当に生きている人といえると思います。
同じ世代を生きている人たちに、応援のメッセージを送りたいですね。
 子育てが一段落して、音楽活動を始めた丹波恵子さん。楽曲の魅力はもちろんのこと、生き方そのものが共感を呼び、年間約三十回のステージをこなしています。この六年間で二枚のアルバムも発売。今年は新たなCDがリリースされ、横浜でのお披露目ライブ、また十二月に行う恒例コンサートの準備と、ますます多忙な日々になっている様子。活動を始めるまでのいきさつや近況をうかがってみました。
中学生から曲作り
 幼稚園の頃から歌うことが好きで、中学三年生の時から、兄が買ってくれたギターで曲作りも始めていました。高校、短大の時点では自分に合う職業が何なのかはっきり決められずに一般職に務めたんですが、音楽に対する思いは変わらなくて、二十二歳の時に『フジTVフリーバルコンテスト』に応募したところ山形代表に選ばれて。フジテレビの会場に入ったら、審査員が十五人位ずら〜っと並んでいるんですよ。緊張してまごまごしていたら、「これだから田舎者は」みたいなことを言われ、あぁ、私に東京の空気は合わないと思いましたね。私のCDに収録している『都会でのギャルにはなれなくても』は、その時に作ったんです(笑)。
▲「今年の文翔館でのコンサート、どんな構成にしようか考えているところです」。  

来年度は、山形県内の中学校で使われる『中学道徳副読本二年(東京書籍)』に、丹波さんの生き方が「存在人」の曲とともに掲載される事になりました。 兄の影響で、ほとんどの曲をコピーしたという吉田拓郎の楽譜。 『日本丸パーク だがしや楽校』で。 52003年の文翔館コンサート。ここ数年は、衣装もつくるようになったそう。
 
 
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