1973年10月生まれ山形市出身。高校を卒業後、秘書を目指して仙台ビジネス専門学校へ入学。自宅から通いながら雑貨屋でアルバイトをし、そのまま就職を考えるが、人の紹介で「日本一の芋煮会実行委員会」の事務局に嘱託として入る。その後リース会社のアルバイトから正社員へ。事務、営業を約9年間経験し2003年に退社。その間2001年7月から『ANAアメリカンネイルアカデミー仙台校』に通って1級を取得。家族構成は、父(会社役員を経て定年退職)と、書道と華道の教室を持つ母、ピアノ講師をしている8歳上の姉。「母が教室をやっているので、いつも家の中に花があったんです。そのせいかな、花のアートが得意かも」。
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合格、そして不合格
 本来は週ニ回のコースを、会社が休みの土曜日に二クラス受講するカリキュラムにして、毎週仙台までのバス通学が始まった。バス停までは自転車で行くのだが、重い道具の入ったヴィトンのバックが前のカゴにうまく収まらず、乗っている姿はかなりよたよただったらしい。 「雨の日が最悪ですよ。バックにビニールかぶせて、自分はカッパ着て(笑)」。今のスタイリッシュな紋さんからその格好を想像すると、少し笑えてしまうのだが、その甲斐あって(?)、見事二級を取得。試験の内容は筆記、ケアとアートの実技。合格率は大体30%だそうだから、決して簡単なレベルではない。さらに紋さんは上を目指したくなる。母親にうち明け、一級取得のために再び給料を投資。しかしハードルは高かった。二回の不合格を体験してしまう。「筆記はクリアしたのですが、実技で落ちました。一級はエクステンションという人工爪が課題に加わるんです。技術の感が鈍らないよう毎日練習しないとダメなのに、ちょうど会社が残業続きで帰宅が遅くて・・・。言い訳ですけどね」。
突然の不安感
 そして国民文化祭開幕の半年前、長年のキャリアが評価され、サポーターズ事務局のチーフコーディネーターに着任。募集人数は四○○名。各種メディアを使って一般公募し、その後企業・団体に出向いて社内からの出向を依頼したり、情報レポーターやキャラバン隊などの企画部門を自主的に作って、地域のイベントでアピールするなど、スタッフと共に駆け回った。そうして予定よりはるかに多いメンバーが集結したのだ。本番を迎えるまで間、仕事内容の確認、スタッフへのシフトの振り分けと資料の発送作業、多忙ぶりは想像を超えるものがある。いつのまにか事務局を助けようというサポーターチームまで出来た。
脱・OL
 ネイルで大変なのは、練習の協力者が必要なことだ。「一般のOLさんには、会社に長い爪で行けないからと断られてしまって。友だちの友だちなど、誰かを見つけては「手を貸してー」と頼み込みました」。そして実技試験でペアを組むモデル探し。「爪が折れていたり、指に傷があっても減点の対象になるから、モデルになる人は気を使って生活しないといけないんです。頼める人が見つからなくて、スクールに併設しているサロンのネイリストさんにお願いしました」。試験までの半年間、友だち、母親、モデルの子には交通費を払って週に1度は山形に来てもらい、毎日練習を繰り返した。ところが試験目前、自分のレベルが合格ラインなのかダメなのか、やればやるほど分からなくなる状態におちいったという。「プチノイローゼみたいになっちゃて。スクールの先生に泣きながら電話したんです」。 答えは「もう練習しなくても大丈夫」だった。
次のステップへ
 辞めてはみたものの、どうやって仕事を始めるか悩んだそうだ。 「東京に行くことも考えました。でもスクールの先生が、なんでわざわざ激戦区へ行くの?東北のネイル人口を増やそうよって」。紋さんが師事する佐々木利恵氏は、海外の大会で入賞する実力者で、生まれ育った仙台へ戻ってスクールを開校したのだ。紋さんもまずは地元に拠点をおくことにした。各サロンなどと契約をし、今年の春からフリーでスタート。「今でも仙台や東京の講習会には通っています。独りよがりの技術にならないようにしたいし、新しい手法も取り入れたい。一流のアーティストに接するチャンスもあるから、意識が高まるんですよ」。
やらないで後悔するより、
まずはやってみる性格なんです。
 女性のおしゃれのジャンルに、数年前からネイルが加わった。自分で楽しめるグッズも販売されているしサロンもある。ネイリストの紋さんは、山形では数少ない資格取得者の一人。もともと美容師や化粧品の販売員だった訳ではなく、一般企業のOLからこの世界へ転職したのだ。
27歳の決心
 「ある時、爪が折れてしまって、直してくれるサロンがあると聞いて行ってみたのが、ネイルを知った始まり。びっくりしましたね。こんな技術があったとはーって感じで」。 以来すっかりハマッた紋さんは、月に四、五回もサロンへ通うようになったそう。やがて東京に専門のスクールがあること、そして仙台にも開校することを雑誌で知る。二十代半ばで、先の事を悩んでいる時期だった。このままOLを続けていても、どこまで自分の仕事が高められるのか分からない。友だちとも「やっぱ、手に職だよね」などと話をしていた。授業料は一括で約三十万円。とにかく資格を取ってみようと決め、親には内緒で、ボーナスを貯めて入学した。 「反対されると思ったんです。ネイルスクールなんて、親の世代にはよく分からないところ。そんな大金払って何になるって言われる気がして」
▲教材が入っていた箱。「この表紙の写真が最高のお手本。先生がこれを目指すようにっておっしゃったので、捨てないで持っているんです」。(右)ネイルスクールの存在を知った、思い出の雑誌。

01.1級の実技では、ペイントと立体的な3Dと言われるアート加工、3本のエクステンションが課題になるそう。
02.スクールのテキスト
03.「一級が取れたのは、自分の力だけでなく、 周囲のみんなが協力してくれたおかげだと思います」。
 
 
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