1963年和歌山県生まれ。日本福祉大学社会福祉学科卒業後、経営コンサルティング事務所勤務。1990年に結婚退社し2000年に山形へ。山形大学工学部に教授秘書として勤務し、米粉に関する研究開発に参加。2002年山形大学大学院ベンチャー・ビジネス・ラボラトリープロジェクト研究員になった後、パウダーテクノコーポレーション有限会社取締役社長に就任。健康管理は食事とサウナ、趣味は旅行。

大学の時から好きなオカリナ。「土に帰る素材で作られているから、癒しの音なんです」。リラックスしたい時に聞くCDは『宋次郎』。
大人になって学び始めて
 ここで東野さんは特許出願をし、宮城県の事業化セミナーに通って起業する勉強を始める。大学はあくまで研究の場所だから、山形のお米をたくさんの人に食べてもらう方法を作らなければならない。女性スタッフ三名を集め、山形大学『パウダーテクノコーポレーション有限会社』を設立。米沢に来た二年後、取締役社長の仕事についたのだ。「結婚してからも社会と接点を持っていたかった」とはいえ、なんとも目まぐるしい展開。  「なんだかねぇ、大人になったら勉強が楽しくなって、育児に活かそうと食事法や料理の研究、カウンセリングやセルフトレーニングのセミナーに通ったりしていたんです。それも役に立っていますね」。  以前は人に嫌われないようにしようと、気を使い過ぎる性格だったが、この時期に意識改革ができたとか。様々な学びの場を通して、気負わない、必要以上のプレッシャーを背負わない術を身につけてきたのだ。
夫婦で単身赴任風!?
 新たな出発へ向かいだした時、今度は家庭に動きがでた。ご主人が予定より早く名古屋の本社へ戻ることになったのだ。  「私の仕事に対しては主人も応援してくれていたので、主人と長男が名古屋へ行き、私と次男が残ることにしました。長い結婚生活の中で、遠距離の時期があってもいいだろうと」。  現在は実のお母さんが米沢に来て、生活のサポートをしてくれている。
広い大地の風景が好き
 今いちばん楽しい仕事は、進行中のライスパスタプロジェクトだそうで、  「山梨にある製粉会社とタイアップして、グルテンフリーのパスタを開発しているところなんです」。  市場は小麦アレルギーに悩む人が約一割もいるオーストラリア。すでに数回現地へ出張している。子供の頃から北海道の広い大地に憧れ続けていた東野さんにとって、まさに理想郷だったよう。将来の夢は?の質問には、「オーストラリアの永住権を取ること!」という答え。英会話の勉強も始めたところだ。
見知らぬ土地で会社を設立。
好きな言葉は「大丈夫」。 
 ご主人の転勤で米沢にやってきた東野さん。まさかこの土地で社長業を始めることになるとは、まったく予想外だったとか。最初のきっかけは、求人情報を紹介しているパートサテライトで秘書という仕事を見かけ、どんな内容も分からずとりあえず面接に行ったことから始まった。「私の他にも数名が来ていました。英語の受け答えもあって、何て聞かれているのかさっぱり分からないから、テキトーに答えちゃったりして。でも合格だったんですよ。採用された理由を後で聞いたら、その英語で質問をした時、全然動じていなかったからなんだそうです(笑)」。そうして山形大学工学部の小山教授秘書となったことが、最初のステップとなる。
日本初の開発に立ち会った
 教授のスケジュール管理など初めてだらけの仕事で、「鍛えられた」という翌年、主婦の視点を必要とされ、小山教授が担当していた米粉の研究開発に参加することになった。今商品化されている「Love Rice」の母体となる場所だ。  「米粉は小麦粉と違いグルテンという粘り成分がないので、膨らまないと言われてきたんです。でもお米100%の食品を目指すのだから、グルテンを添加しないで作りたかった。そして着目したのがプラスチックを発砲させる技術。いろんな米粉のブレンドも研究して試作、試作。一年かけて成功したんです」。  食品業界の常識をうち破る、お米の新ジャンルが開拓されたのだ。
▲米沢市と山形市内にあるパン屋『中村屋』で発売されている「らぶらいす」。もちもちとした食感で、腹持ちがいいため、少量で満足できるのが特徴。

01.月1回のペースで講演などがあり、この日は休憩時間の合間に商談。忙しそう。
02.現在も米粉を使ったさまざまな商品を開発中。
03.子供の頃から読んでいる聖書。 自分にとって大切な言葉には線を引いている。
 
 
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