1960.12.28生まれ。山形市出身 山形県立山形北高等学校音楽科卒業後、アメリカ・シンシナティ大学音楽学部ピアノ科に入学。 同大学大学院ピアノ演奏専攻課程修了。Master of Music取得。Cum Laude 賞、他数々のコンクールで優勝。34歳の時に帰省し、山形短期大学講師、山形北高等学校音楽科講師となる。1997年より「ピアノワールド」と題したコンサートを開催。ミュージカルの作曲などでも活動中。

(*1)アストル・ピアソラ▲(1921年〜1992年)。タンゴの革命児と言われた音楽家。今年のコンサートはこのアルバムをピアノにアレンジ。
四十代だからできたこと
アメリカに六年、東京八年、ドイツで一年間を過ごしてきた礼美さん。「ドイツでリサイタルを開いた時、お客さんがとても喜んでくれたんです。コンクールで技術を競うだけがピアノじゃないんだって、ゆっくり腰を落ち着けて活動したくて、故郷に帰ってみようと思ったの」。八年前に山形へ戻り、昨年結婚。藤沢から知野になった。建築家である知野伸一氏とお姑さんとの三人暮らしだ。「三十代までは両親の愛に甘えて自分のことしか考えられなかったけど、夫と姑という新しい家族が出来て、やっと自分の居場所ができた気がする。今はお姑さんに甘えさせてもらって、同居でよかった〜って思います」。
ピアノワールド
山形に戻って作曲も始めた。「ピアニストは既存の楽譜を忠実に弾いて、プラス自分のカラーで表現すること。作曲はゼロから生み出す行為だから、自分にとって新鮮な世界」。毎年開催している『ピアノワールド』は、ピアノ曲と自らが編曲・作曲をした楽曲を演奏する二部構成。「ビートルズ・ノスタルジア」、山形県民謡をアレンジした「フォークソング・オブ・ヤマガタ」など、オリジナルのステージを演出してきた。礼美さんはピアノをどんな風に聴いてほしいのだろう。「目をつぶって聞いて、何か考え事をしてみて。ある風景やその時の自分の気持ちを思い出したり、音楽とシンクロする不思議な時間が訪れるかも」。
音楽家も芸人
美さんにとってピアノを弾くこととは? 「聴く人のために演奏をすること。スタンスはお笑いの芸人さんと同じ。楽しんでもらってこその自分だから」。エンターテイナーとしてのセンスを持つ人ならではの言葉だ。今はアルゼンチンタンゴに夢中だそうで、  「今回のピアノワールドの第二部はオール・ピアソラ!(*1)です!。タンゴを踊るサークルも作りたいから、只今メンバー募集中です(笑)」。
ピアノを弾く魅力はまだ分からない。今は私の演奏で楽しんでもらえればと思うだけ。
「あがって、あがって」と、礼美さんは気さくにご自宅へ迎えてくださった。海外コンクールで数多くの受賞歴を持つ方だ。取材時のバリアが厚いかな・・・そんな不安はすぐに消えた。胸元にはサクランボのかわいいブローチを着けていらっしゃる。「これね、小学校の時に叔母にもらったものなの(笑)。物持ちはいい方。洋服もブランド好きって訳じゃないし」。 話す相手が和めるよう、先に垣根を外してくれる人柄が伝わってきた。
誉めて伸ばすアメリカ流
音楽の教師である父の手ほどきで、二、三歳の頃からピアノを始めた礼美さん。ごく自然に音大への進学を考えたが、 「手も小さいし、ピアニストになるのは無理じゃないかと先生はおっしゃって。でも自分の力を試してみようと留学を決心しました」。アメリカの大学は演奏曲の録音テープを一本送ること。「入るのは簡単、出るのは難しいって聞いていたけど、まったくその通り。朝起きて練習して、授業を受けて、帰宅してまた練習。コンクールで賞を取らなければ、学校側から専攻を外されてしまうから、とにかく必死。合コンなんてなかったし(笑)」。大学二年次からは学費全額免除特待生となった。いかに努力したかが分かる。「教授のおかげもあるんです。ちょっと出来ると、グレイト!って誉めてくれるから」。個性を尊重する環境の中で、ぐんぐん才能が引き出されていったのだろう。
子供の頃に買ってもらったブローチなど。「思い出は大切にしたいから」。

01.留学時代の恩師と銀座で再会。「楽しいと思える余裕はなかったけど、嫌にならなかったのは、アメリカ人の寛容さのおかげ」。
02.「学生時代の教科書はモチロンすべて英語。 音楽の歴史を覚えるのが大変でしたねー」。
03.今の活動を始めるきっかけになったドイツでのリサイタル。  その時に着ていた思い出のブラウス。
 
 
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